はじめに
HELLO!
1980年に2人の娘(3歳と1歳)と一緒にアメリカから日本にやって来た青い目のテリーです!
子育て、食べ物、洋服、生活、季節、習慣、文化・・・日本とアメリカでは違うことばかり!
だけど、いろいろな日本とアメリカの違いのおかげで、とっても面白くて楽しい子育てができました!
外国人のママが少なかった当時の“青い目の子育て奮闘記”をどうぞお楽しみください!
プロフィール
Teri Suzanne テリー・スザーン
元「こどもの城」国際交流部長。作家。切り紙のイラストレーター。声優。日本や韓国、香港、アメリカでの講演や、NHKの番組、青山円形劇場への出演などもこなす。子どものためのバイリンガル教育教材コンサルタントとして『えほんや』『エーゴ旅行社』(iTunesアプリ)の英訳と声優を担当。
パチパチ花火 と わっしょいわっしょい夏祭り!
あまり好きではない蒸し暑い天気と蚊はさておき、日本の夏が大好きです! 盆踊り、かき氷、浴衣、せんす、蚊取り線香、スイカ、虫取り、扇風機、ビール、蝉の鳴き声、下駄の音、お祭り、金魚すくい、たいこの音、そして花火……、それは「日本」です! なかでも、日本の花火はいちばん素晴らしいと思います。夏になると、駅の広告やポスターに全国の花火大会がたくさん案内されます。夏=花火です。
アメリカでは、7月4日の独立記念日の夜にだけ、いろいろな町で花火大会があります。たくさんの人々は、家族で席を押さえるため、昼間からスタジアムや広い公園へ行きます。ブランケットやマットなどを広げて、夜になるまで飲んだり食べたり、寝たりします。だんだん暗くなってくると座る場所がなくなるのです。
公園なら、ライブバンドの演奏を聞きながら、花火が見えます。しかし、全国でもこの日限り。アメリカの花火の特別な日です。もちろん、ディズニーランドへ行くと夕方の花火はありますが、日本のように夏の間ずっと、という花火大会はありません。残念です!
日本に住んだとき、東京の大森という町で、だんなさんの親と一緒に住んでいました。夏の夜は娘たちの楽しみでした。なぜならば、家の前で花火ができるからです。スーパーなどでは、家族が楽しめるような花火セットを売っていました。夕ご飯が終わってお風呂が済んだら、パジャマ姿の娘たちとアパートの階段を降りて、花火を始めました。
バケツに水を入れて、近所の家族たちを呼び、みんなでいっしょにわいわい遊びました。男性たちが大きい花火に火をつけて子どもたちを喜ばせてくれました。花火のセットのなかに面白い花火もたくさんありましたので、いつも違うメーカーの花火セットを探しました。私のいちばん好きな花火は線香花火でした。細い糸のようなピンクいろの紙に火をつけ、パーチパーチパーチと小さな美しい花火が目の前にゆっくり、優しく、不思議にピーカーピーカと踊ってくれました。最後まで丁寧にその細い糸をもって、そのかわいい花火をじっとしずかに見てみました。ああああ。何回やっても美しかったです。ずっとやりたかったね。
その光で娘たちの幸せな顔を見ると、また嬉しかったものです。
次女は2歳半のとき、花火をみて怖がりました。光や音にビックリしたのだと思います。最初に私の後ろに立ち、横から頭を出して「こわい…だけど好き」と言いました。やがて、だんだんほかの子どもたちの楽しそうなようすをみて本人も慣れてきて、ニコニコ笑いながら近所の子たちと遊びました。
そのころ、私たちの住んでいた家の前は、車一台しか通れない、狭い一方通行の道路でした。住宅街なので夜になると車はほとんど通りません。ですから、家の前にみんなでしゃがんで、話をしながら、小さな花火大会を夏の間に何回もしました。花火のおかげで近所のみなさんと仲良くでき、携帯電話もゲームもない時代に、人間と人間のつながりが自然な、あたたかな環境で過ごすことができました。
花火が終わると、みんなで家の前のゴミを拾って、火を消すために紙くずをバケツの水のなかに入れました。町作りのよい勉強や自然な協力にもなったのではないかと思います。こうしたことがなくならないといいなと思いますが、みなさんの町では今、どのようになっているでしょうか?
もう少し大きくなってから、娘たちは、隅田川の花火大会へ行きました。初めて川沿いに大勢の人と座って、日本の花火を見ました。本当に感動しました! 大きい! 美しい! そして、花火大会の時間が長かった!
それから、多摩川や横浜など、あちらこちらの花火大会へ行きました。いっしょに花火大会に友達と参加して、バーベキューもやりました。そのときに大きな鉄板をみてびっくりしました。アメリカのバーベキューと全然違うし、食べ物も違う! ステーキやハンバーガーのかわりに、焼いていたのはやきそばやとうもろこし、いか、野菜…。とても不思議でしたが、本当に美味しかったです。娘たちも焼きそばやとうもろこしが好きで、いつもわくわくしていました。
日本では「食べること」が大切な文化だと思います。季節の食べ物を中心に、食事の決まりややり方、作り方なども大事です。今でも、季節ならではの食べ物が食べたいなあ…と、娘たちとよく思い出します。
また、日本ではお祭りも重要です。夏になるといろいろな町に御神輿があらわれます。子どもの御神輿もあります。娘たちにハッピを着せて、小さな御神輿を引っ張りました。そこでのいちばんの喜びは、他の子どもたちと同じように「おかしをもらうこと」。一回だけでなく、一日の間に何回も参加させることには驚きました。よっぽど疲れたらしく、その夜はふたりともぐっすりと寝てしまいました。
ある日、主人の親友が神田御神輿という大きなお祭りで担ぐことを誘ってくれました。娘はまだ2歳と4歳。日本に来たばかりで、そのお祭りの意味もよく分かりませんでしたが、その友達の家へ行き、娘たちにハッピを着せて、ほかの母たちと子どもたちといっしょに、小さな御神輿に参加しました。朝から夕方まで何回も回りました。そんなに長い時間がかかると思っていなかったので、のどがかわいたりおなかがすいたり、人もものすごく大勢いてビックリしました。
同じくハッピを来て、とっても大きな御神輿を担いでいた主人ともほとんど会えず、本当に大変でした。帰ってきた彼の肩もすごいことになっていました!
私には、なぜこんな習慣があるのか、何のために御神輿があるのか、何のために同じところを何回も回るのか、よくわかりませんでした。周りのお母さんたちに聞こうとしても、お母さんたちは子どもや料理のことなどで忙しく、しかも誰も英語ができず、誰も説明をしてくれませんでした。さみしいよりも困りました。「手伝いましょうか?」と何回も言ったのですが、「大丈夫よ、ゆっくりして」としか言われず、私は「ゆっくりする人」ではないので、逆に気持ちがとても疲れたのを覚えています。どうすればいいのか本当にまいりました! 何かをしたかったのですが、自分の立場などもよくわからず、正直言うとあまり楽しい一日ではありませんでした。娘たちは御神輿に参加しながら、おにぎりを食べたり遊んだり、寝たりしていましたが、私にとっては本当に、わけの分からない経験でした。
そのあとにいろいろ説明を聞き、よくわかりました。日本にはたくさんのお祭りや習慣があるんですね。それからは、参加する前に勉強するようになりました。
きっとそのとき、私はほんとに変な外国人でしたね。いまでも、そのときの写真を見ると、当時の私と娘たちが体験した「不思議」を思い出します。
あのとき自分にとって楽しくはなかった御神輿ですが、今思い出してみるとニコニコ笑ってしまいます。素敵な、いい思い出です。
わっしょい! わっしょい! は、まだ、聞こえてきます。