はじめに
HELLO!
1980年に2人の娘(3歳と1歳)と一緒にアメリカから日本にやって来た青い目のテリーです!
子育て、食べ物、洋服、生活、季節、習慣、文化・・・日本とアメリカでは違うことばかり!
だけど、いろいろな日本とアメリカの違いのおかげで、とっても面白くて楽しい子育てができました!
外国人のママが少なかった当時の“青い目の子育て奮闘記”をどうぞお楽しみください!
プロフィール
Teri Suzanne テリー・スザーン
元「こどもの城」国際交流部長。作家。切り紙のイラストレーター。声優。日本や韓国、香港、アメリカでの講演や、NHKの番組、青山円形劇場への出演などもこなす。子どものためのバイリンガル教育教材コンサルタントとして『えほんや』『エーゴ旅行社』(iTunesアプリ)の英訳と声優を担当。
初めての冬…そしてクリスマス!
クリスマス、サンタさん、クリスマスツリー!
子どもの頃から、12月は、とっても大切な時期でした。
感謝祭(Thanksgiving Day:アメリカでは11月の第4木曜日)がすむとすぐ、クリスマスの準備が始まります。家の中も外も、たくさん飾りつけをして、お正月にテレビでローズ パレード(Rose Parade:アメリカ・カリフォルニア州パサデナで開催される新年の祝賀行事)やローズボウル(Rose Bowl:同パサデナのローズボウル・スタジアムで、毎年お正月に行われるフットボールのゲーム)を見ながら、クリスマスツリーや飾りを片づけます。ずっ と広い家に住んでいたアメリカでは、天井まで届くほど大きなクリスマスツリーがありました。
1980年8月に、家族4人で、広いカリフォルニアの家から日本へ引っ越してきました。主人の実家の2階、六畳2間へ、アメリカのソファーやソファ ベッドを運びました。あまりにも大きく、重くて、二階の窓を外してようやく入れてもらいました。布団を敷いたら歩くところがなくなり、その狭さにビックリ しながら、日本での生活が始まりました。
日本での初めての冬は、とっても寒かった記憶があります。10月からコートが必要でしたから、今の東京とは少し違うような気がします。当時、長女は 3歳半、次女は1歳。私が聖心インターナショナルスクールで働いていたため、最初はおばあちゃんに見てもらっていましたが、 その後は東京・大森駅のビルの6階にあった保育所に、保育園入園まで預かってもらいました。広尾での仕事の帰り、お迎えのために大森駅から歩いて、階段を のぼって…。荷物は多いし、外の風は冷たいし。車中心だった生活から、自分の足に頼る生活になりましたが、頑張っていました。
そんな中、子どもがカゼをひきました。熱を計るにも、使い慣れたアメリカの体温計がなく、とても困りました。日本のおばあちゃんの体温計は水銀計 で、ケースに入れて、付属のひもを持ってぐるぐる回すタイプ! 体温の読み方もアメリカとは違っていて、アメリカでは華氏99度が熱の始まりですが、日本 では摂氏37度。…えっ!?辞書を片手に、必死に計算しながら、熱を計りました。また、おじいちゃんに「子どもたちをあなたたち両親の間に寝かせれば、カ ゼをひかせないで済んだのに…」と叱られたこともありました。アメリカでは子どもにも自分の部屋やベッドがあるので、日本のように親子が川の字になって眠 るという習慣がないのです。知りませんでしたし、私にとっては不思議な習慣でした。
その頃、日本では本物のクリスマスツリーはなかなか販売していなかったのですが、やっとの思いで六本木で小さなツリーを発見。なんと、18,000 円もしたんですよ! 信じられませんでしたが、クリスマスはとても大切な行事です。ツリーの置き場所をなんとか決め、ファミリークリスマスのために、アメ リカから持ってきた飾りでツリーを作りました。
ある日、長女 がとても心配そうな顔で「煙突がない! サンタさんはどうやって家に入るの? 今はアメリカに住んでいないけど、サンタさんは私の新しい家を見つけてくれ るかしら?」と聞きました。主人は「そりからバルコニーに降りて、眠っている間に静かに入ってくるんだよ。日本にいてもちゃんと分かるから安心して!」と 答えていました。初めてのクリスマスでしたが、主人の言ったとおり、サンタさんは迷子にならず、私たちの家を見つけてくれました。
どこの国に住んでも、その家族の文化や信念、夢、喜びは、親がそれらを大事にすることによって、家族にとって幸せな思い出作りができるのではないでしょうか。
I wish you all a Merry Christmas and a Happy New Year!