はじめに
HELLO!
1980年に2人の娘(3歳と1歳)と一緒にアメリカから日本にやって来た青い目のテリーです!
子育て、食べ物、洋服、生活、季節、習慣、文化・・・日本とアメリカでは違うことばかり!
だけど、いろいろな日本とアメリカの違いのおかげで、とっても面白くて楽しい子育てができました!
外国人のママが少なかった当時の“青い目の子育て奮闘記”をどうぞお楽しみください!
プロフィール
Teri Suzanne テリー・スザーン
元「こどもの城」国際交流部長。作家。切り紙のイラストレーター。声優。日本や韓国、香港、アメリカでの講演や、NHKの番組、青山円形劇場への出演などもこなす。子どものためのバイリンガル教育教材コンサルタントとして『えほんや』『エーゴ旅行社』(iTunesアプリ)の英訳と声優を担当。
3月は頭から足まで、BLUE, BLUE, BLUE!!
♪あかりをつけましょ、ぼんぼりに~
日本では全国的に、2月中旬くらいからおもしろくて夢のあるおひなさまを販売しています。私は、見るだけで楽しみでした。
1969年に初めて日本に住んだとき、代々木にある東京人形学院で、日本の人形作りを勉強しました。先生は背の小さな女性でしたが、いつもとっても高い ヒールの靴をはいていて、人形よりかわいかったのを覚えています。先生は英語が話せなかったので、お互いに手を使い、人形を作りながら英語と日本語を学び ました。「これをまっすぐ切って、ここに折って…」と、実際に先生が目の前で、手を使いながら教えてくれたおかげで、日本語を覚えることができました。耳 で聞いて、手で覚えて。お人形さんのおかげで日本語や日本の文化を学んだのです。お人形さん、ありがとう!
私の娘たちも、おひなさまを見ることが大好きでした。ひなあられなどを食べることも楽しんでいました。もちろん、いつものようにたくさん質問をしながら…。
おばあちゃんはいつも「ひな祭りが終わったらおひなさまをすぐしまわなければ!」と言っていました。「ちゃんとかたづけないとお嫁さんに行けないよ」と聞いた時にはびっくりしましたが、あとから考えてみると、これはきっと、物を大切にする、正しくしまう、…などのためではないかと思いました。で も、娘たちにとってはちょっとこわいことだったようで、大きくなったとき、私がおひなさまを長くかざっていたら、娘たちに注意されたこともありました(私 は人形が大好きだから、長くかざりたいのです!)。
3月。日本では卒業式ですね。一年が終わって、また4月から新しい学年が始まります。ピカピカの一年生は、新しいランドセルをもらいます。娘たちは アメリカンスクールにも日本の小学校にも通いましたが、ランドセルを使ったとき、私には少し不安がありました。本などを入れたらけっこう重くなるでしょ う? 小さな肩は大丈夫かしら? もっと軽く作れないのかな? 子どもが長く使うものだから、ランドセルには丈夫さが大事なのだ…と思いつつ、大変だなと いつも思っていました。子どものからだはどんどん成長しますし、身長も変わっていきます。ランドセルよりももっとよい方法があればいいのに…と思っていま した。
また、現在はカラフルになりましたが、昔は男の子は黒、女の子は赤。色が少なかったですよね。これはとても困ったことでした。なぜなら、次女は赤が嫌いで、黒も嫌い。紺色しか好きではなかったのです。
おじいちゃんとおばあちゃんからランドセルを買ってもらって、ニコニコしながら「ありがとう」と言っていましたが、次女にとって心からうれしいお祝いではなかったのです。
日本の保育園へ行ったときに、次女は青いうわばきに青いTシャツ、青いパジャマ… 持ち物はなんでも「青色」!ピンク色のものは絶対に着ませんでし た。 最初のころ、保育園の小さな女の子たちは、娘の持ち物を見て「女の子はピンクじゃないといけないんだ~!青はだめ~!」とよく言っていました。娘はびっく り! でも、本人はいつでも「青が好き、ピンクは嫌い」と答えていたので、私が先生たちに説明をして、理解してもらいました。そのことは、今でも感謝して います。
次女が日本の小学校に入るときのお道具箱も、男の子用は紺色、女の子用は赤と決まっていました。注文するとき、私は娘の気持ちを尊重し、紺色を注文 したのですが、あとでやっぱり、何人かのクラスの子に強く文句を言われましたね。これは私たちにとっていじめの始まりと感じたので、先生に相談しました。 お道具箱のお金を払うのは親です。別にどちらの色でもよいでしょう? 色が指定されているわけでもなく、子どもの性別に関係なく選んでもよいのでは? 先 生は私たちの気持ちを聞いたあと、クラスの子どもたちに伝えてくれました。
また、同じ小学校にサッカークラブがありました。娘は活発な子で、スポーツが大好きでしたので、サッカークラブに入りたがりましたが、そのころ住ん でいた世田谷区には、どの小学校のサッカークラブにも女の子がいなかったのです! どうしてもやりたかった娘は、なんとかもう一人の女の子の友達と一緒に 入れてもらえました。たぶん、世田谷区で初めての女子サッカープレーヤーだったかもしれません(笑)。朝早く起きて頑張っていました。
そのとき、本人がいちばんうれしかったことは、なんだと思いますか?
それは、サッカーのユニフォーム。ユニフォームはもちろん、娘の大好きな 青色!!!!だったのです! 娘がサッカークラブに入ったのは、ユニフォームの色が50%、活動が50%だったのではないかしらと、今でもときどき思います。ハハハ!
現在、娘は34歳になりましたが、今でも洋服や靴、携帯、財布、ギターも「青色」です。まるで「ブルー娘」(笑)! 不思議です。
今の日本は昔と変わりましたね。とくに子どもの洋服や靴などの色やデザインはすごく変わったと思います。色もきれいでかわいくて、おもしろくて楽しいです。キャラクターグッズもどこにでもありますし、1985年ごろと比べたら、とても鮮やかだと思います。
私が初めて日本で子どもの洋服を探したときは、黒や茶色の洋服が多かったです。色のあるものもありましたが、パステルカラーが多かったですね。ま た、保育園や幼稚園、小学校の靴はひもなしでした。早くぬいだりはいたりするためには便利ですが、アメリカではひものある靴はとっても大事でした。なぜな らば、幼稚園のころから、自分の靴のひもを自分で結ぶことがあたりまえだからです。大切に覚えなければならないことのひとつでした。
保育園や幼稚園へいけば、必ずひもを結ぶ練習のための道具やゲームがありました。ひとりで洋服のボタンをとめることやジッパーを閉めることとと同じように大事な、指の練習だったのです。
日本の保育園に入園したとき、うわばき(屋内ではく靴)にはひもがありませんでした。着脱が簡単なのは確かですが、アメリカのおじいちゃんとおばあ ちゃんの家を訪ねたとき、ひもなしの靴にびっくりされました。私の両親にとっても、「外と内」のための靴の考え方は不思議でした。アメリカでは、家には靴 のまま入りますし、外の庭にもそのまま出て行きます。娘はアメリカの家に入ったら靴をすぐ脱ぎ、ドアのそばにおきました。私は、床やカーペットを長く保っ たり、ホコリを減らしたりするためには、これはよい習慣だなと感じました。
うわばきの話をもうひとつ。
保育園にいるとき、娘たちに、自分の名前をひらがなで書く練習をさせました。パパは日本人ですがママは外国人なので、日本語を書けることは大事。娘 たちは、英語でも日本語でも書くことを覚えなければならなかったので、最初に名前を書くことを教えました。娘たちは新しいうわばきに、自分でマーカーで名 前を書きました。
主人か私ならもちろん、きれいに書くことができますが、靴は娘のものです。練習であり、勉強だと考えたら、とっても良い経験だと思いました。マー カーで、娘は一生懸命頑張って自分の名前を書きました。私は下書きもいっさい書きませんでした。娘を信じて、頑張ってもらいたかったからです。
でも、スペースに合わせて書くのは難しいことでした。まず、左からくつのてっぺんまで書いて、右にカーブしながら、下の右横まで曲がって…。書き始 まりが少し上過ぎたのでとてもアンバランスになりましたが、ひらがなの形はきれいで、まさに本人の字! すばらしかったです! 本人はそれを見てがっかり していましたが、靴は汚くなるものですし、書き方より、本人が自分で初めて、ひらがなで自分の名前を自分の靴に書いたことがすごいこと!…と思いました。 そして、もう片方の靴は自分でスペースを考え、きれいに書くことに成功したのです。完璧でした。努力したことがとてもうれしかった!
それなのにやはり、保育園へ行くと大きい子に「汚い書き方」と言われたのです。私や主人ならもちろん、きれいに書けます。でも、私たちが書くより、子どもが自分の手でやれば、それは自信になるのです。
子どもを信じて、チャンスを与えたら、頑張りますよ。そして大きく成長すると思います。自分でできることが増えることは、なによりもうれしくて、とっても重要なことではないでしょうか。
「みんなと一緒!」だけではなく、違うことも大事です。この世の中がもし、みんな同じことばかりだったら、とってもつまらないのではないでしょうか。英語で言えば“ Same but Different、Different but the Same ”「人 間」はみんな違います。でも、「人間」だから同じ。感じていることも考えていることも、想像することも、体験や経験、気持ち、からだ、皮膚の色や言葉…。 みんな、違うからこそ美しいのではないでしょうか。その違いを理解し、尊重しあうことが、私たちにとって、とても大切なことではないかと思います。
来月(4月)は忙しい月になりそうですね。桜たちはようやく、優しい、美しい顔を、冬の洋服の中から出すでしょう。楽しみですね。
きっとHAPPY SPRINGになりますよ!