赤ちゃんってすばらしいですね。赤ちゃんのおかげで親は成長し、素直になります。今までに感じたことのない感動や感謝の気持ちも、心のなかに生まれてくるのではないでしょうか。

新しい命を育てていると、さまざまなうれしい、悲しい、難しい、おもしろい体験に山ほどぶつかります。赤ちゃんを初めて家へ連れてくるときには、親はけっこう緊張するでしょう。細かいことまで注意しますし、朝から晩までいろいろなことに気を使います。とくに経験のない親にとっては、いくら準備をしても本を読んでも、育てはじめると楽ではないときもあるでしょう。

しかし、二番目の赤ちゃんが生まれたら、最初の赤ちゃんよりはゆったりとした、気楽な気持ちになるでしょう。厳しく育てた上の子より、下の子にはおおらかに接することもできるのではないでしょうか。

きょうだい同士が仲よくすることは大事なことだと思います。きょうだいゲンカ(sibling rivalry)を防ぐ、とてもよい方法があります。私も日本へ来る前にトライして大成功したので、日本でもたくさんの友達に教えました。ぜひこのおもしろい話をしたいと思います。

 

最初の赤ちゃんを生んだあと、しばらくの間、子どもはその子ひとりです。パパとママ、おじいちゃんおばあちゃんにとって、かけがえのない宝ものです。子どもは甘えることができ、望みには必ず誰かが答えてくれます。おもちゃは自分だけのものだし、パパもママも自分の“もの”! どこへ行っても「あら、かわいいね、大きくなったね」などといわれ、自分は本当に大事な、幸せな存在であると感じています。

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しかし、ママのお腹がだんだん大きくなると、家の雰囲気などが少しずつ変わってきます。そしてある日、今までいなかった別の人間(つまり二番目の赤ちゃん)が現れます。赤ちゃんは泣き、ママの時間を取っていきます。上の子は、急に自分の立場がないと感じるんです。最初のころは赤ちゃんだけではなく、きょうだいが仲よくするためにとても大切な時期です。

 

赤ちゃんを生む前に、ある準備をしました。もちろん、男の子か女の子かによっても、親の考えによっても、違うやり方もあると思います。

次女が生まれたとき、長女は2歳半でした。友達のアドバイスで人形用のプラスチックで出来たベビーカーと赤ちゃん人形を買いました(現在の時代なら、長男でこのやり方もいいと思います)。私が入院をして次女を産み、そのあとに看護師さんに預かってもらいます。

 

私が家に戻る日、長女も迎えに来ました。看護師さんが赤ちゃんを連れてくる前に、まず、娘に向かって、ベビーカーと人形をあげました。渡すときには娘の顔をしっかり見ながら、こう言ったんです。「おめでとう! 今日からあなたは大事なお姉ちゃんになりました!! すばらしいプレゼントがあります。お母さんと同じように、あなたにも自分の赤ちゃんがいます。この赤ちゃんを大事にしてね。良かったね。大きな責任だけど頑張ってくださいね」

とてもびっくりしている娘に人形を抱かせると、看護師さんは、今度は次女を私に渡しながら「さて、ふたりとも忙しくなりますね。おむつをかえたり、赤ちゃんに食べさせたり…」と言いました。私を車いすに座らせ(退院時の安全のための規則です)私は赤ちゃんを抱きながら、長女は自分の人形をベビーカーに座らせ押しながら病院をあとにしました。家に戻ってからも喜んで自分の赤ちゃんと遊んでいました。

 

もうひとつ重要なやり方があります。

新しい赤ちゃんを、大勢の親戚や友達が見にくることがあるでしょう。今までずっとひとりでいた娘の気持ちを大事にするために、家に来る友達や親戚にあらかじめ電話で連絡し、重要なお願いをしました。

赤ちゃんを見にくるときに、まずは、赤ちゃんの話を絶対にしないこと。先に長女にあいさつをして、本人の話を聞いてほしい、と言いました。たとえば「大きくなったね」「保育園(など)は楽しい?」「最近なにをしているの」などなど…。そうすれば、長女が昔と同じように大切にされていると感じると思いました。

そのあとにおもしろいことがありました。長女が急に「私の赤ちゃん見る? 赤ちゃんいるよ」と言い出したのです。友達がビックリした顔で「本当に? お姉ちゃんになったの? すごいね! どこどこ?」「見せてあげる!」と長女は言い、すぐに赤ちゃんの部屋まで一人で案内してあげたのです。

赤ちゃんが生まれる前には注目の的だった長女でしたが、このやり方なら、自分の役割と必要性が前よりももっと広がると思います。赤ちゃんが生まれると、お兄ちゃんお姉ちゃんの立場や責任も変わります。赤ちゃんの「先生」にもなりますね。よいことも悪いことも教える責任があります。きょうだいはお互いの力でどんどん成長します。すばらしいと思います。そして、家族の美しい、必要のある柱になっていくのです。

 

8月にお盆がありましたね。お盆の思い出もいろいろとあります。

ある夏休みに、アメリカのおじいちゃんとおばあちゃんの家に行きました。そのとき娘たちは、3歳と5歳ぐらいだったと思います。私の祖母(娘たちにとってはひいおばあちゃん)といっしょに、ひいおじいちゃんのお墓参りに行きました。

娘たちにはすでに、日本のお墓参りやお盆の経験がありましたし、お葬式に参加したこともありました。初めてのアメリカでのお墓参りなので、娘たちがアメリカのおじいちゃんが持っていくものに注文をつけました。

まず、お水や花。私の父や母はお墓にお水を持っていく習慣がなかったため、水筒に水を入れました。また、その休みの間にひいおばあちゃんが娘たちに、手作りのかわいい犬の形の枕をくれたのですが、娘たちがその枕を気に入り、どうしても亡くなったひいおじいちゃんに見せたい! と言い出しました。そういうわけで、水筒と花と、その枕も車に乗せ、お墓参りに出かけました。

 

ひいおじいちゃんのお墓はForest Lawnのところにあります。実は私も初めての場所でした。日本の墓地と違って、芝生が多く、いろいろな形のお墓がありました。ひいおじいちゃんのお墓には、名前や日にちの書かれた鉄でできた平らなプレートがついていました。お花立てはなく、日本のお墓とは全然違いました。

娘たちは芝生にある雑草を取り、水筒のお水をお墓にかけて花をのせ、お墓に向かって話をしました。「ひいおじいちゃん見て! おばあちゃんが作ってくれた犬の枕、かわいいでしょう~?」

アメリカではお水をかける習慣はありませんが、私の父母もひいおばちゃんも、そんな娘たちのようすに涙しました。娘たちもお祈りをして、幸せそうな顔をしていました。おじいちゃんおばあちゃんたちが喜んでいるようすを、不思議そうな顔で見ていたのを覚えています。

 

家に戻り、娘たちは父にまた言いました。「おじいちゃん、お家のなかに入るためにはお塩が必要です」と。父はビックリしましたが、母に頼んで母が先に家に入り、kitchenから大きい塩の箱を持ってきました。

父が娘たちに「それからどうすればいい?」と聞くと、娘たちは「霊が来ないようにからだに塩をかけてください」と言ったのです。

父は「霊ってなに?」と思ったようですが、娘たちはまだ小さく、英語のghostのことしかわからず、So the ghosts don’t come inといったのです。 父は娘たちの顔を見て、文句も言わずに「はい、わかりました!」

そこで、娘の頭に塩をかけました。「おじいちゃんもやって!」と娘が言ったので、父は素直にやりましたが、実は父は、塩についての迷信を信じるsuperstitiousでした。

塩をこぼしたら運が落ちないよう、必ず少しの塩を手でとり、左後ろにその塩を投げます。塩はこぼしてはいけないと信じていた父にとって、からだの上に塩をかけることは、実は大変なことだったのです! それなのに、孫のためなら、とやってくれた父の姿を見て、私は「父は本当にすばらしい人間」だと思いました。習慣が異なっていても、娘たちの気持ちを尊重してくれたのです。

 

日本とアメリカの文化は違います。でも、私の両親は娘たちの素直な気持ちを守りながら、一生懸命違う習慣を理解したいという気持ちをもってくれました。とてもありがたかったです。「変な習慣」などと言わずに、娘の心や日本の習慣、考え方などについても、いろいろと聞いてくれました。

日本のお盆はよい習慣だと思います。娘のパパは45歳のとき、脳梗塞で亡くなりました。しかし、20年が経った今でも、娘たちは必ず、年に何回もパパのお墓参りをします。お水をかけ、掃除したりお花を飾ったり、パパが好きだったタバコを置いたり、話しかけたりもします。

アメリカにはない習慣ですが、親類を大事にすることも、美しい心ではないでしょうか。子どものおかげでまた、違う文化にふれることができ、親としての地球を見る目や見る心が変わりました。

 

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