はじめに
HELLO!
1980年に2人の娘(3歳と1歳)と一緒にアメリカから日本にやって来た青い目のテリーです!
子育て、食べ物、洋服、生活、季節、習慣、文化・・・日本とアメリカでは違うことばかり!
だけど、いろいろな日本とアメリカの違いのおかげで、とっても面白くて楽しい子育てができました!
外国人のママが少なかった当時の“青い目の子育て奮闘記”をどうぞお楽しみください!
プロフィール
Teri Suzanne テリー・スザーン
元「こどもの城」国際交流部長。作家。切り紙のイラストレーター。声優。日本や韓国、香港、アメリカでの講演や、NHKの番組、青山円形劇場への出演などもこなす。子どものためのバイリンガル教育教材コンサルタントとして『えほんや』『エーゴ旅行社』(iTunesアプリ)の英訳と声優を担当。
ハロウィン大好き!
10月はハロウィンの月です!
ハロウィンが近くなると、おばけや魔女、黒猫、がいこつ、かかし、コウモリそしてハロウィンパンプキン(英語で言えば、Jack-O-Lantern)が出てきます! きゃあーーーこわい! 気持ち悪い!! 不気味な気がします。ドキドキする時期です!!
不思議な、面白い習慣もたくさんあるハロウィンの色は、オレンジと黒です。10月31日の夜には、子どもも大人もかわいくておかしな、こわい衣装を着て帽子やマスクを着け、メークアップをしてから近所を回ってキャンディをたくさんもらいます。(もらうためには英語で「TRICK or TREAT」(お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ!)と言わないともらえないよ!)
子どもたちはハロウィンが大好きです。ハロウィングッズはかなり早くから販売されています。カリフォルニアではもう、8月末から販売スタートです! ハロウィングッズを扱う大きな専門店はあちらこちらにあります。店の入り口に動いている魔女やお化けなどの等身大の人形などが立っているため、入るには少し勇気が必要です。
でも、入ってみると、赤ちゃんから大人までのさまざまな衣装やこまかい飾り、パーツなどがあります。動物のための衣装もあります。家をこわくするための飾りもあります。あとはスーパーマーケット、コンビニ、薬局にもハロウィングッズやお菓子があります。私は子どものころのハロウィンの思い出がいっぱいあります。
今は、テレビや映画、スーパーヒーローやアニメキャラクターの影響からか、ハロウィンの衣装はなんでもあります。本当にすごいです。選ぶのに迷ってしまうのではないでしょうか!
私たちは子どものころ、自分の衣装を手作りしました。古いシーツに目のための穴を開けて、頭にかぶってお化けに。BOO! 茶色の紙袋のいろいろなサイズをつないだら、ロボットに変身! お父さんの古いシャツを着て、麦わら帽子をかぶれば、かかしになりました。耳をつけ、顔にひげを描いたら猫かウサギにも変身しました。自分たちの想像で、楽しい衣装を作りました。
当時は暗くなったら、学校の友達と集まって、いっしょに2時間ぐらい近所にある家をたくさんたずねました。ドアをノックしてみんなといっしょに大きな声で「Trick or Treat!」と言いました。今のようなプラスチックの袋ではなく、私たちのキャンディを入れる袋はなんと、古い白いピロケース(枕カバー)でした! 重いキャンディを入れるには、紙やプラスチックより、布が強いのです。便利でしょう??
そして近所を歩きながら、一つ一つの家を良く見て、電気がついてある家だけを訪ねます。ハロウィンに参加したくない家は暗いので、電気のついていない家はのぞきました。
時々おじいさんやおばあさんの家に行くと、りんごやココア、お金などもいただきました。悪い事件はほとんどなかったですね。自分の家に戻ると、ピロケースのなかのごちそうをテーブルの上に全部出しました。母が紙に包んでいないキャンディを捨て、きょうだいたちとキャンディのやり取りをしたりしました。おもしろかったです。少し食べて、残りは毎日少しずつ自分のランチバッグに入れて、学校の友達と交換しました。
残念ながら、現在のハロウィンの夕方の活動は、私が子どもだったころのようにすべての町が安全というわけではありません。昔のように気楽な気持ちで、知らない方の家を訪ねにくいのです。
今、ハロウィンをしている幼稚園や小学校の子どもは、親といっしょに近所を回るか、自分の家のごく近いところまでしか行かないことが多いです。気をつけることは大事です。ハロウィンが大好きな人は、自分たちの家の屋根や窓、庭などをお化け屋敷のように変身させます。いろいろな大きさのライト付きパンプキンを家の周りに置いたり、不気味な音(お化けの叫び声など)を鳴らしたり、煙の出る機械も使ったりします。また、キャンディをもらうために、道からその家のドアまでのsidewalkの横側にこわい等身大の人形か、ミイラ(mummy)の恰好をしている人が歩いている子どもや大人をおどかします。とてもこわいですが、それを乗り越えて玄関のドアまで行けた子どもたちは、キングサイズのチョコをもらいます!
ハロウィンは不気味な雰囲気や衣装だけではありません。もう一つの楽しみは、不気味でおもしろいpumpkin carving(かぼちゃを彫ったもの)。そして食べ物、とくにお菓子やおやつです! 小学校へ行くまでに、お父さんとお母さんがパンプキンを切りました
いろいろな切り方がありますが、一般的な切り方はまず茎のあるところ(てっぺん=ふた)をナイフで切ります。切ると中の種が良く見えます。ときどき根や葉っぱがある種が見つかることもあります。
パンプキンの頭が切れたら、手を入れて種を取り除きます。ぬるぬるして気持ち悪いと思いつつ、子どもにとっては楽しい体験。笑いながら中を取り出します。種をきれいに洗って塩をかけて、お母さんは種をオーブンに入れ、少し焼きます。焼いた後、種を食べました。美味しかったです。のどにひっかからないように、良くかむことは必要です。
そして、お父さんとお母さんが、ナイフでかぼちゃにおもしろい顔を切りました。最後にろうそくを入れ、暗くなったら火をつけて、ふたを閉め、窓のそばに置きました。自分の家の前へ行って、私たちが一生懸命作ったJack-O-Lanternを見てみるととてもうれしかったのを覚えています。
ハロウィンが終わったら、そのカボチャを細かくしてオーブンに入れ、蒸して、パンプキンパンやケーキを作りました。最後までパンプキンを大事にしました。
自分が大人になってからは、いつも楽しく、ニコニコしながら家のパンプキンの顔を切りました。
長い間、アメリカに住んでいたのでハロウィンの楽しい習慣がありましたが、日本に引っ越しをした初めての秋には、アメリカのようなオレンジ色の大きなカボチャは、いくら探しても見つかりませんでした! かわりに日本の緑色の固いカボチャを買い、ナイフでやってみました! でもカボチャはあまりにも固くて、なかなか顔をつくることができませんでした。
当時は1980年。日本に外国人はまだ少なく、ハロウィンの習慣をしている人もほとんどいなかったのです。インターナショナルスクールにはハロウィンの活動がありましたが、次の年、東京にあった外人のためのスーパーを訪ねたら、オレンジ色の小さなカボチャがなんと、5000~6000円もしていました!!! 信じられなかった! アメリカでは、大きなカボチャも$1.00-5.00でした(参考:1ドル107円(2014年9月17日現在)。きゃあああああ高ーーーい!!
1985年になると、日本でもハロウィンはだんだんに人気が出始め、ハロウィングッズや飾りなどが増えてきました。そのときには青山のこどもの城で働いていたため、青山円形劇場のハロウィンショーやデパートイベント、町のイベントなどのハロウィン活動に、娘たちといっしょに衣装を着て参加しました。
娘たちといっしょに舞台に出たり、パレードに参加したり、ステージの上で大勢の人の前で大きなカボチャ(北海道産でした!)を切ったりしました。 アメリカのように娘たちといっしょに近所の家を訪ねてキャンディをもらうことができなくても、新しい形でハロウィンを楽しみました。オレンジのカボチャはだんだん出てきましたが、やっぱり値段が高かったですね。
でも、娘とカボチャを切る習慣は大事なので、高くても必ず作りました。
娘たちが幼稚園のとき、3人で雑誌や教育関係のプログラムのために、ハロウィンのおもしろい活動を紹介しました。ある有名な雑誌のハロウィンを紹介する記事の仕事で、娘たちと不思議なハロウィンパーティの食べ物の依頼を受けました。
近所に住んでいたアメリカ人のお母さんと子どもたちといっしょに、ピエロなどの衣装に変身して、ハロウィンのテーブルセッティングをしました。作ったものは大変おかしなものでしたが、読者の評判はよかったです。
まず、ゴムの手袋のなかにアメリカの赤いゼリーの素と水を入れ、縦にして冷凍しました。固くなったら、ゴムからその赤い固い不気味な手を取り出して、お皿の上におきました! 不気味でしょう? 周りにみかんをおいて、子どもたちは黒のマーカーでいろいろな違う表現のあるJack-o-Lanternの顔を描きました。
また、黒い紙を使って、ふたなしの ドラキュラの映画に出てくるような棺を作りました! なかに人のからだをおにぎりで作りました。がいこつにするために、のりをはさみで切って骨を作り、おにぎりに貼りました。かわいい骸骨になりましたよ! 今のようにのりを切るパンチなどはないため、全部はさみで切りましたが、その方がよい形ができると思いました。
娘たちはそのがいこつをみて結構笑っていました。(実はハロウィンの日、学校へ持っていくお弁当に内緒で同じものを入れたのです!)
もちろんほかの食べ物も作りました。そのなかのへんなものは目玉キャンディ、蜘蛛のお菓子、蛇など。撮影が終わり、3人は喜んで大変疲れた気持ちで家に帰りました。
そのころ私たち親子3人は、アルク出版の親子のための月刊Kitty Cat雑誌やオーディオカセットにも3年間参加していました。10月の記事はやはりハロウィンが中心で、親子のためのハロウィンアートや 料理、アイディアを紹介しました。また、毎日小学校新聞には、毎週土曜日、小学生の英語教育や文化交流のためにバイリンガルのページでその月の季節の話やイラストを作りました。10月のハロウィンの月には歌やお話、英語の単語を紹介しました。
子どもの読者のためにおもしろいオリジナルの歌とストーリーを娘といっしょに録音しました。スタジオで、いつも笑いながら制作しました。日本の親子のために心をこめて、いっしょに楽しく作りました。
現在、日本ではさまざまな英語の教材やテレビがあります。学校でも英語教育は進んでいますが、1990年ごろにはまだまだ十分ではありませんでした。私たちの活動は早すぎたかもしれませんが、でも、必死で頑張って作っていました。
普通なら親子は、週末にどこかに出かけていたことを思い出しますが、当時、私たち親子3人は、力を合わせて日本の親子のためにさまざまなものを制作していました。娘のアイディアやいきいきした気持ちを見たり聞いたりするのは、私にとってかけがえのない時間でした。親子のために何か、商品や音楽、教育教材をつくるなら、親子でやるのが一番だと思いました。
子育てには親によって、やり方、考え方はいろいろです。でも、お互いに向き合って、笑いながら、絶対よい道に歩く方向があるのではないでしょうか。私はずっとずっと、今でも外で働いている母親です。家で子どもといっしょに過ごす時間は多くはなかったけれど、そのかわり、3人は外でいっしょに、いろいろな作品制作をほかの子どもや親子のためにチャレンジしました。
そのことによって、お互いの親子の絆は、今でもとても強いのです。