はじめに
HELLO!
1980年に2人の娘(3歳と1歳)と一緒にアメリカから日本にやって来た青い目のテリーです!
子育て、食べ物、洋服、生活、季節、習慣、文化・・・日本とアメリカでは違うことばかり!
だけど、いろいろな日本とアメリカの違いのおかげで、とっても面白くて楽しい子育てができました!
外国人のママが少なかった当時の“青い目の子育て奮闘記”をどうぞお楽しみください!
プロフィール
Teri Suzanne テリー・スザーン
元「こどもの城」国際交流部長。作家。切り紙のイラストレーター。声優。日本や韓国、香港、アメリカでの講演や、NHKの番組、青山円形劇場への出演などもこなす。子どものためのバイリンガル教育教材コンサルタントとして『えほんや』『エーゴ旅行社』(iTunesアプリ)の英訳と声優を担当。
雪がコンコン ~Winter Memories
冬ですね。1985年の10月にアメリカ・カリフォルニアから東京の大森に引っ越してきた私たち家族にとって、初めての日本の冬はとても寒かったのを覚えています。そのときにはすでに寒さが始まっていたので、ウィンターコートが必要でした。
12月ごろには町に雪が降り、あちらこちらに小さなかわいい雪だるまがたくさんできました。アメリカの雪だるまと違って、からだは2つの丸でできていて、頭には帽子代わりのバケツがあり、おもしろいなあと思いました。 裸足が大好きな娘と私にはブーツが必要でした。外へ行くと、自分の息も白く見えました。不思議でした。
今月と来月は、冬の話をしたいと思います。日本での冬の思い出はたくさんあります。冬のおもしろくて役に立つ、不思議なものについて話したいです。まず、コレから…。
雨戸
日本の家やアパートには、窓に雨戸がありますね。冬の寒さが私たちの小さなアパートにたずねてこないように、すごく役立ったものです。毎晩きちんと閉じて寝ました。自分の国ではこういう窓を見たことがなく、とってもいい考え! と思いましたが、朝になってお日さまが起きても、雨戸が閉じてあるために部屋は暗いまま。目覚まし時計がないと、時間もよくわかりませんでした。でも思い出して見るとやっぱり、雨戸を閉じたり、開けたりするあの“音”は、冬の寒さの音。日本での思い出の音です。
次は素晴らしい、暖かいものです。足やひざ、犬やネコを温めるもの…??(背中だけは温まらないですが)そうです、コレです!
こたつ
娘たちは不思議なホットテーブル、こたつが大好きでした! 私たちの住んでいたアパートの2階にはなかったのですが、1階のおじいちゃんとおばあちゃんの家にはありました。みんなで足を伸ばしてごはんやおやつを食べたり新聞を読んだり、お絵かきをしたり、寝たりすることがよくありました。
考えてみるとこたつは、ファミリーが仲よくする習慣を作ります。腰の弱い方にはこたつのための椅子が必要ですが、優しい、仲よしのためのファミリーテーブルですね。
ビタミンC
冬はみかんの季節。こたつに座ってよく、おいしいみかんを食べました。びっくりしたのは、おばあちゃんのところにいつもダンボ-ルが届いて、なかにはみかん、みかん、みかん…! 娘たちは大喜び。また、食べ方にもびっくりしました。なぜなら、おばあちゃんはみかんの皮をきれいにむいて、小さな皮を開いてお皿のような形にし、少しずつみかんを食べながら、みかんのjuiceを吸ってからみかんの残った皮や種を皮のお皿のなかに入れたのです。私たちの食べ方は違いました。みかんをむいても、皮はバラバラ。もちろん種は出しましたが、みかんは全部食べました。
私の育ったアメリカでは、口に入れた食べ物を出してはいけないといわれますから、日本のみかんの食べ方はちょっとびっくりしました。
アメリカでは、りんごは皮をむかずにそのままかじるか、切っても皮はむかないでそのまま食べました。ぶどうも同じです。皮ごと食べて、たねだけ礼儀正しく、おとなしく出します。その違いには、みんなも驚いていました。
習慣が違っても、とにかくお互いに好きなようにおいしく食べれば一番いいと思います。ただ、娘たちには厳しく食べ方を教えました。今考えてみると、みんなと違う食べ方をするのは恥ずかしかったかもしれませんが、自分たちなりのルールがありましたから、それはそのときの子育てのひとつとなっていたのではないかと思います。
さかさま傘
冬に雪や雨が降ると、傘が必要でした。次の日のため、ベランダから開いた傘を家の外に向けてさかさまにかけ、干しました。アメリカに住んでいたときにはそうした習慣はありませんでした。車での生活が多いため、傘をさす必要が少ないのです。
近所の細い道を歩くときにふと上を見上げると、ぶら下がった傘たちは本当にきれいでした。いつも娘たちと歩きながら、素敵な絵のようになった傘のいろいろなデザインや色について話しました。日本ではブーツやレインコート、傘までも子ども用のものが必要で、そんな姿の娘たちはほんとうにかわいかったです。保育園や幼稚園で、周りの子ども達の雪や雨のためのそうした装いを見るのもとても楽しかったものです。
大掃除!
お正月が来るときには、必ず家の掃除をしなければならない! というのにも驚きました。日本のお正月では、今まで知らなかった習慣にたくさん出会いました。なかでも大掃除は印象的でした。もちろん、私はきれいな家が好きですから、掃除は年中やっています。びっくりしたのは、お正月には決まった料理があって、お正月の間には掃除や料理などもやらないという習慣があることでした。
お正月には、娘たちにきれいな洋服を着せて、初詣のために神社へ行きました。少し大きくなったら、12時すぎに年越しそばを食べて、暖かい洋服を着せ、夜になってもずっと動いている地下鉄や電車に乗って、夜中に神社へいきました。
ある年、明治神宮に行ったときには、原宿駅に着いてとってもびっくりしました。ひとひとひと! 人が本当にたくさん、あふれていたのです! 川の流れと同じように、みなさんは素直にゆっくり歩いています。男性の背の高い友だちが娘たちを肩にのせてくれたので、娘たちは迷子にならず、疲れることもなく、本当に助かりました! また、その朝にはできるだけお正月の日の出を見ることも大切なので、寒さのなか、日の出を見るためにじっと待ったこともありました。新しい体験でした(だって、アメリカではぐっすり寝ていたでしょうから!)。日本のみなさん、寝ないんですね(笑)!
お雑煮
また、お正月にはお雑煮がとても大事なものでした。小さいころから娘たちはお雑煮が楽しみで、また、おもちも大・大好きでした。そのころはガスレンジではなく、部屋にあったヒーターの上でよくおもちを焼きました。それも不思議だなあと思っていました。お雑煮とおもちがないとお正月にならないと娘がよく言っていたのを思い出します。娘は大人になった今、アメリカにいても、必ずお雑煮は作ることにしています。
キンピラや甘い卵焼き、豆、などなどのおせち料理も大好きでした。小さいとき、お正月のあいだにいろいろなお友だちの家を訪ねて、おせち料理を食べるのが楽しみでした。やっぱりお祝い=思い出の食べ物ですね。日本のおせち料理は大変すばらしく、おいしい、美しいものだと思います。
お年玉
娘のお正月の一番の楽しみはお年玉でした。私のアメリカの親にとっては、クリスマスはもっとも大切でしたから、孫たちはクリスマスに祖父母に会うために、何年間かの冬休みをアメリカで過ごしました。ただ、1月のロスへ行くある空港では霧がいつも濃く、なかなか飛行機が飛べなかったため、親に会いにいくのを夏に変えました。クリスマスとお正月の間にアメリカに行き、日本へ戻ったら、お正月も終わっています。アメリカにいればお年玉の楽しみはありません。ですから娘たちは、日本のお正月が好きでした!
初めてお年玉をもらったとき、娘たちは大変喜びましたが、そうした習慣がなかったので、私はとても驚きました。郵便局へ行き、小さい娘のために通帳を作り、お年玉を貯金しました。これは娘の大切なお金だと思いましたし、お金を大切に貯金することも覚えてほしかったのです。娘たちには、もちろん自分のお金でなにかを買いたい気持ちもありましたが、貯金することもおもしろかったようです。日本では郵便局で貯金ができることもすごいと思いましたし、現金書留で送れることはもっとすごいことです。たぶんアメリカではそうしたシステムは無理だと思います。日本の郵便局には本当に感謝しています!
お年玉はよい習慣だと思います。大事なのは、子どもがお年玉をくれた方に感謝すること、あたりまえだと思わせないことです。また、小さいときにあまり大きなお金をあげないことも重要です。お金を大切に使うことを小さいときに教えるのは必要なことだと思います。
日本の冬は楽しいです。寒いですから雨戸を閉めて、こたつに入り、からだを温めてください。おいしいみかんを食べて、楽しい話をたくさんたくさん、お子さんと、家族としてくださいね。
新年明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いします。
Happy New Year! 健康でHappyな2015年でありますように!