はじめに
HELLO!
1980年に2人の娘(3歳と1歳)と一緒にアメリカから日本にやって来た青い目のテリーです!
子育て、食べ物、洋服、生活、季節、習慣、文化・・・日本とアメリカでは違うことばかり!
だけど、いろいろな日本とアメリカの違いのおかげで、とっても面白くて楽しい子育てができました!
外国人のママが少なかった当時の“青い目の子育て奮闘記”をどうぞお楽しみください!
プロフィール
Teri Suzanne テリー・スザーン
元「こどもの城」国際交流部長。作家。切り紙のイラストレーター。声優。日本や韓国、香港、アメリカでの講演や、NHKの番組、青山円形劇場への出演などもこなす。子どものためのバイリンガル教育教材コンサルタントとして『えほんや』『エーゴ旅行社』(iTunesアプリ)の英訳と声優を担当。
しつけの思い出
子育てのしつけはどのようにしていますか? 思い出してみてください。あなたが小さいとき、親は厳しかったでしょうか。パパかママが叱るとき、おじいちゃんとおばあちゃんはやさしく助けてくれましたか? しつけは家族、友達、社会、自分のためのもの。子どもが育っていくうえでも、とても重要なことです。しつけやマナー、家族のルールは、国や習慣、経験によっても異なります。
私はアメリカで育ちましたが、娘たちはアメリカと日本で育ちました。私は両方の国でいろいろなしつけを知り、考えが広がりました。自分が子育てをしたとき、しつけの基本は自分の親のやり方でした。きっとみなさんも同じではないでしょうか。役立ったものも役立たなかったものもありましたが、自分でいちばん良いしつけを決めることは大切だと思います。
石鹸の思い出
子どものころ、私にとっていちばん厳しく、嫌いだったしつけの思い出は「石鹸」です。私たち子どもが、言ってはいけないような悪い言葉や汚い言葉を言ったとき、親は、一度は注意をしました。私は素直な子どもでしたので、言ってはいけない言葉を使って試してみたのです。でも、2回目にその言葉を言ったら、母は手を洗うための石鹸を持ってきました。「口を開けなさい!」と言って、石鹸を私の舌につけ、軽く洗ったのです!石鹸を舌につけられると、そのいやな味をとるために自分で自分の口を水で洗わなければならないのです。水で洗うと泡が出て、本当にいやでした。泡、泡、おいしくない泡…。泣きながら自分の口を洗いました。今でもその石鹸の味は忘れられません。その日から、悪い言葉はけっして口から出てこなくなりました。こうしたしつけはひどいと思う人もいるかもしれません。けして真似しないでくださいね。昔のやり方かもしれませんが、私の友達も、何人も同じ経験があります。世の中にはさまざまなしつけがあり、自分で経験をしたことを話しています。その時代には、そうしたしつけもあったのです。
言葉
しつけの基本となる単語があります。それは「Thank you(ありがとう)」「please(お願いします)」「I’m sorry(ごめんなさい)」。この3つの言葉は、人生にとって最も大切な言葉ではないでしょうか。
しつけの中では、人の気持ちに感謝することも大切です。子どものころ、うちの家族には「プレゼントをいただいたら、その場ですぐに「ありがとう」を言う」というルールがありました。もし言わなければ、そのプレゼントを返さなければならないのです。「ありがとう、青い色は大好きなの!」とか「これ本当に欲しかったわ」などの一言を言うことはとても大事でした。私の親は、「誰かが親切なことや思いやりあることをしてくれたら、その人の行動や優しいこころに感謝するべき」だと言っていました。感謝することはとても重要だと私も思い、娘たちにも同じようなしつけの仕方をしました。もちろん、もっと理解できるように、なぜ感謝が必要なのか、その理由も説明しました。感謝をすれば、相手がうれしくなるだけではなく、自分もいい気持ちになります。「ありがとう」をいう瞬間や感謝する気持ちは、義務というより、息を吸うのと同じように自然な、あたりまえなことであるべきだと思います。たとえば犬にもきちんと言葉でお願いをしますし、犬が優しい行動をしたらもちろん「ありがとう」といいます。子どもたちはこれを見て、生き物に感謝することも覚えました。きょうだいでも友達同士でも、親子でも「please, thank you and I’m sorry」は大事なことでした。
また、このごろあまり耳にしませんが「I’m sorry」も大切です。たとえば友達をかんだりたたいたり、優しくない発言をしたりすると、相手の心やからだに傷をつけることになります。人を大切にすること、責任をとることは、とても大事なのではないでしょうか。
自分が間違ったこと、やってはいけないことをしたら、自分で責任をとって謝るべきです。娘たちはやっていけないことをしたら、まず、相手の目を見ながらI’m sorryの言葉を言わなければなりませんでした。それだけではなく、ありがとうと同じように、もう一言を必要とされました。たとえば「I’m sorry I hurt you. Are you OK? I won’t do it again(ごめんなさい。痛かったでしょう? 大丈夫? もうしませんから)」「I’m sorry. I was not kind. Are you OK? (悪いこと、優しくないことをしてしまってごめんなさい。大丈夫ですか?)」
つまり、自分がやったことに対して、自分でそれを言葉で認め、その上に相手の気持ちやからだが大丈夫かどうかを確かめるのです。そうするとやさしい気持ちになり、アメリカならそのあと、ハグか握手をしました。
「ごめんなさい(I’m sorry)」を言うことは「負け」ではありません。逆に責任を持つことで、自分の勝ちになると思います。
テルテル坊主ならぬ、「テリーテリー坊主」(笑)!
テーブルマナー
日本に初めて住んだときには、おじいちゃんとおばあちゃんの家で、よくいっしょにごはんを食べました。畳の部屋の、低いこたつの周りに大家族がいっしょに座るのです。
アメリカでは、ダイニングテーブルの周りに椅子を置いて座ります。子どもは自分の椅子かハイチェアに座るので、あちらこちらへ歩いたり、動いたりすることはありませんでした。そうしたやり方は礼儀の上でもダメですよね。でも、日本に来て畳の上に座って食べたとき、びっくりしました。親の膝の上にしばらく座っていた小さい子が、やがてテーブルの周りを立ち歩き、自由に動きだしたんです。じっと座っていることはなく、好きなように歩いたり走ったりしていました。それを見た娘たちも、動きたくなったと思います。でも私たちはさせませんでした。食べるときにきちんと座るのは大事なことですから。
日本の家族のやり方に対して、文句があるわけではないです。生活習慣が違いますから。ただうちの家族には、日本へ引っ越しする前から、アメリカでの自分たちの決まった子育てルールやしつけがありました。日本に住んでも、娘たちがそのやり方を守ることは大事です。親として自分のやり方を守り、周りから文句をいわれたときには、私たちは自分たちのルールややり方を説明しました。親戚や友達に、私たちのやり方を理解してもらいたいと思うからです。こうしたときには、難しいですが、子どものためにも親はしっかりしないといけないなあと思います。
外食のときにも、子どもは椅子に座ることがあります。レストランで、子どもが自由に走り回っているのに親は知らん顔、という状況をよく見かけますが、家でごはんのときに自由に走り回っている子は、レストランでも同じことをすると思います。いちばん損をするのは子どもではないでしょうか。
好き嫌い
娘たちにはそれぞれ、いくつか嫌いな食べ物がありました。長女はカボチャスープのにおいに気持ちが悪くなり、次女はヒラメが大嫌いでした(「平らでお目目が自分に見ているからいや!」とのこと)。子どもの気持ちは想像できますが、世の中には、食べるものすらない子もたくさんいます。ですからうちでは、お皿にある食べ物はぜんぶ食べなければならない、というルールがありました。きれいに食べないと「ごちそうさま」と言ってはダメ。ごはんが冷たくなってしまっても、全部食べるまではそのままテーブルに座っていなければなりません。また、食べ物やごはんを作ってくれた人に感謝することも大事です。でも嫌いなものはやっぱり嫌いでしたね…。
上からトマト⁈ 下からトマト⁈
実は私自身、小さいときから生のトマトが大・大・大嫌い!食べるとときどきアレルギーのようなブツブツが出たり、見るだけで気持ちが悪くなったりすることもありました。トマトソースやスパゲッティなどのパスタならOKなんですが、生のトマトは鳥肌が立つほどだったので、私がトマトを食べないことを父や母が理解し、トマトを食べなくても許してくれました。ただし、許してもらえるのはひとつだけ。他の食べ物はきちんと食べなければなりませんでした。娘たちは、私がトマトを食べないことをよく知っていましたから、自分たちもママと同じように嫌いな食べ物をひとつ許してください!とお願いされました。私は笑いながらOKしましたが、嫌いなものを何回も変えるのはダメ。ひとつだけなら許しました。娘はトマトが大好きで、いつも私のトマトを食べてくれました。今でもそうです。助かります(笑)!そのかわり私は、娘たちの苦手なこんにゃくやカボチャスープを喜んで食べるのです。
小さいときから食べ物を大切にし、感謝すること。その気持ちが子どもたちに伝わることが必要です。食事のしつけはたくさんあると思いますから、私たちもおいしく楽しい時間になるよう、工夫しないといけませんね。
あぶない!
アメリカで出産し、娘たちが歩けるようになったころ、日本からおじいちゃんとおばあちゃんが会いにきました。やさしいおじいちゃんは孫たちのことを大事にしてくれ、いつでもどこでも、何でも心配していました。
そのころアメリカの家のリビングには、ソファの前に木製の長いコーヒーテーブルがあり、娘はよくそのテーブルにつかまってつかまり立ちをしていました。おじいちゃんは、娘が頭を打つのではないかとハラハラしたようで、そのテーブルの角にやわらかいクッションのようなものをつけてぶつかっても大丈夫なようにしてほしいと言いました。私は、それは必要ないと答えました。
また、娘がそのテーブルの下でハイハイをしているとき、おじいちゃんはよく大声で「あぶない!」と言いました。たしかに、頭をぶつける可能性はありましたが、私の考えでは「経験はいちばん良い先生」です。私は娘たちに、自分で注意することや気をつけることを教えました。孫を守ろうとしてくれたおじいちゃんの気持ちには本当に感謝していますが、私は、たとえ小さい子どもでも、本人が気をつけると信じました。
私の母は私に「赤ちゃんが産まれたら、家族は赤ちゃんに合わせるのではなく、赤ちゃんがその家、その家族と合わせるべき」と教えてくれました。大事なのはその家なんですね。たとえばリビングのテーブルの上の飾り物などはそのまま置いておき、子どもにさわってもいいものといけないものを教えます。家のなかにあるものの位置などは変えずに、小さいときから家のなかにあるものを大事にすることや注意することを教えるんです。もちろん子どもはなんでもさわりたがりますし、ためしてみたがります。そこで親が忍耐をもって、何でも教えてあげるのです。さわると痛い、ぶつかると痛い、食べるとおなかが痛くなるよ。このときのしつけの目的は、子どもが自分で自分のからだを大事にし、自分を守ることです。それがしつけであり、よいしつけは子どものためのものなのです。
日本から来たやさしいおじいちゃんと、アメリカの家のソファで。
娘はぐっすり…。
おやすみ
おじいちゃんたちがアメリカにいる間、夜には、娘たちを風呂に入れてから寝かせる前におじいちゃん、おばあちゃん、パパにおやすみのチューをしてもらいました。そのあとに私は娘たちの部屋に連れて行き、絵本を読んでから抱いてチューをして、「おやすみなさい」と言ってから電気を消しました。大事な寝る時間でしたから。
娘たちは自分の部屋でよく寝ました。日本では子どもは親といっしょに寝る家族が多いと思いますが、アメリカでは子どもにも自分の部屋やベッドがあります。どちらがよいということはなく、それぞれの国や家族の生活習慣から、両方ともいいと思います。
おじいちゃんたちは初めてアメリカの生活習慣をみて、きっといろいろびっくりしたと思います。子どもたちに自分の部屋があることもびっくりでしたでしょう。でもおじいちゃんにしてみれば「子どもたちを一人で寝かせるなんてかわいそう」と、またイライラして心配しました。「娘たちがかわいそうです。もしかしたらクモがいるとか、何か悪いことが起こるかもしれない。僕が何回も見にいかないと…」と言うのです。私は、「娘たちは小さいけれど、自分の部屋で寝る習慣に慣れさせるために、決まった時間に寝かしつけているの。そのやりかたは大事なんです」とおじいちゃんに話しました。もちろん、寝る前に子どもを見に行って、泣いていたらそばにいるけれど、まず、寝るときに寝るということが大事。また、寝る習慣だけが重要なのではなくて、寝る時間も大事です。夜の10時や11時などに寝かせるのは子どものためにもよくないので、できるだけ早い時間に寝かせました。おじいちゃんにしてみれば、私はとても厳しい親に見えていたでしょうね。あのときお互いに戸惑うことは多かったのですが、納得させるために頑張りました。おじいちゃんとおばあちゃんと私の子育てのやり方は違いましたが、子どもを愛すること、守りたいこと、そして子どもを大切にする心は、確かに同じだったのではないでしょうか。
しつけは難しいものです。子どもが大きくなるとともに、親のしつけのしかたや考え方も変わります。子どもを育てながら失敗することもたくさんあるでしょう。子どもと同じようにいろいろな経験を重ねながら、だんだんとよい人間、よい親になっていきます。子どものおかげで親はもっとよい人間になるし、心が広くなると思います。勉強は永遠に続いていきます。
しつけの種はおじいちゃんおばあちゃんから親、そして親から子どもへ、繰り返し伝わっていきます。考え方ややり方は変わっても、基本的な目的である「人間作り」は変わらないのではないでしょうか。