はじめに
HELLO!
1980年に2人の娘(3歳と1歳)と一緒にアメリカから日本にやって来た青い目のテリーです!
子育て、食べ物、洋服、生活、季節、習慣、文化・・・日本とアメリカでは違うことばかり!
だけど、いろいろな日本とアメリカの違いのおかげで、とっても面白くて楽しい子育てができました!
外国人のママが少なかった当時の“青い目の子育て奮闘記”をどうぞお楽しみください!
プロフィール
Teri Suzanne テリー・スザーン
元「こどもの城」国際交流部長。作家。切り紙のイラストレーター。声優。日本や韓国、香港、アメリカでの講演や、NHKの番組、青山円形劇場への出演などもこなす。子どものためのバイリンガル教育教材コンサルタントとして『えほんや』『エーゴ旅行社』(iTunesアプリ)の英訳と声優を担当。
娘たちの思い出
現在35歳と38歳になった娘たちが小さかったころのことは、今でもはっきり覚えています。先日娘たちと、日本とアメリカでの思い出を話しました。親の立場で私が子育て中に感じたことと、本人たちが覚えていることの違いを強く感じました。
今、小さなかわいい赤ちゃんを育てているパパやママ、赤ちゃんはびっくりするぐらいすぐに大きくなりますよ。「あの時間はどこにいったかな?」と思うほどです。
娘たちの思い出を、みなさんにも楽しんでいただけるとうれしいです。
赤ちゃんや幼稚園・小学校のころの思い出は、アルバムの写真や自分の心のなかに残っています。写真が古くなったりなくなったりしても、その宝物の思いは生きています。
娘たちはアメリカと日本で、インターナショナルスクールや日本のいくつかの保育園、幼稚園、小学校に通いました。それぞれの文化やシステム、やり方についてふれ、どの体験も娘たちそして私の人生にとって大切な思い出になっています。
話の前にひとつ説明を。日本ではお父さんのことをほとんどの家庭で「パパ」と言いますが、うちの娘たちは「Daddy」と呼んでいました。
TISSUES & A HANDKERCHIEF
小さいころには日本の保育園に通いました。アメリカから来たばかりで、言葉や習慣にまだ十分慣れていないころです。保育園には決まった持ち物やルールがたくさんありました。まず、ポケットにはいつも必ずティッシュやハンカチを。手洗いのため、鼻をかむため、汗をふくために、これらはいつでもどこでも役立ちます。私が生まれたカリフォルニア州には、こうした習慣はありませんでした。
保育園では日常生活に役立つ便利なことを教えてくれました。私たちは今でも、その持ち物の習慣を大切に守っています。やっぱり、とてもいいことだと思います。
RED & WHITE
保育園にはもうひとつ、大事なものがありました。それは紅白帽子! 今でもうちには当時の帽子があります。夏の太陽の光は厳しいため、外遊びのときには帽子をかぶり、小さいころから自分の頭を守る大切さも自然に覚えました。娘たちにとっては、赤と白に分かれていたことがおもしろかったようです。グル-プ遊びや競争をするときには赤組白組に分けやすかったですし、ずっと赤と白ではなく、遊びやプログラムによって帽子の色を変えられることも楽しかったです。運動会にも大活躍! 娘たちは同じ組になってもそうでなくても、負けても勝っても楽しそうでした。文字通り「頭を使った」よい習慣でした(笑)!
LINE UP PLEASE!
「起立! 前ならえ! 気をつけ! 休め! 礼!」
保育園や幼稚園、学校へ行くと、必ず並ぶことがありました。娘の話の中には今でも、この言葉たちが笑顔とともに元気よく出てきます。これは保育園で習った、並ぶための大事な言葉。聞くと私もニコニコします。子どものころに覚えた言葉は、大人になってもなんだか不思議な気持ちがします。
日本でいつも感心するのは、行列の並び方です。長い長い列にも、忍耐強く並びます。素直に並ぶのはさすが! 小さいときからの保育園や幼稚園のしつけのおかげでしょうか。決まった言葉や表現で並ぶ習慣がつき、その言葉を聞くだけで、きちんと並ぶことができるんですね。そして最後の「礼」は、とても礼儀正しくて重要なことではないでしょうか。
社会では買い物のときや電車に乗る前、飛行機に乗るとき、コンサートや映画館へ行くときなど、並ぶことはあたりまえ。保育園や幼稚園の先生たちに感謝しています。
STREET SAFETY
日本では、家から保育園や幼稚園、学校への行き帰りに生徒たちが歩く道は決まっていました。親は地図をもらい、子どもたちにその道の地図を見せながら教えました。他の道は禁止です。道にも、子どもが歩いている絵のストリートサインがありました。車での送迎が多いアメリカでは、こうした決まりはありませんでした。
また、学校の近くには必ず、子どもが道を横断するのを助ける人(crossing guard)が立っていました。娘が友達といっしょに道を歩いていたときには、大きな子がよく面倒を見てくれてありがたかったことを覚えています。
娘たちが今でもよく覚えているのは、道を渡るときに手を上げること。アメリカにはこういう習慣はありません。手を上げることで道を渡るという意識をもち、より注意を払うことができるのではないでしょうか。とてもよいことだと思います。
また、道を渡る前に不思議だったのは、右と左を確認することです。日本では道を渡るとき、まず右を見て、それから左を確認して渡りますね。しかしアメリカでは、車のハンドルと走る方向が違うため、道を渡る前に左を見てから右を確認するんです。本当ならそのあとに、もう一度左を見るべきなんですね。
日本に住んでいるときにアメリカを訪ねると、先に右を見る習慣になっていますから、意識を変えなければならず、道を渡る前に目が回りました(笑)! 最近は大人も子どもも、携帯を見たり話したりしながら、道を渡ることが多いですね。大人はもっと注意すべきだと思います。
VISITATION DAY、FIELD TRIPS
保育園や学校などの参観日は、できるだけ主人といっしょに行きました。当時、他のパパはほとんど不参加。会社勤めで忙しいパパたちは、子どものことをママにぜんぶ任せていたんですね。
わが家の場合、もちろん仕事は大事ですが、参観日や個人面談はできるだけパパもママもいっしょに行くのがいちばんいい! と考えました。1年に1度のことなので、彼が参加することは当然と思いましたし、本人も誇りをもって保育園や小学校に来て、いつもニコニコしていました。娘たちは幸せだったと思います。私も、娘たちのためにDaddyが参加してくれたことは本当にうれしかったです。
主人が参加することによって、先生の態度もずいぶん変わりましたよ。相手がママ1人ならわりときつい言い方をするけれど、パパといっしょだと言葉や態度に注意しながら話しているように感じました。おもしろかったです(笑)。
また、ときどき、園長先生や校長先生は会合の最後に親(ほとんどママたち。パパは2、3人)にお礼を言いました。パパの参加が多くなった今は違うと思いますが、当時の、先生の最後の挨拶は「お母さまたち、今日は大変忙しい中、足を運んでいただいてありがとうございます」でした。これを聞いて、仕事を休んだパパたちがかわいそう、と感じ「パパたちにもお礼を言うことは大事です」と発言しました。先生はあまりいい顔をしませんでしたが、パパが参加することに対する、パパたちの努力を認める必要があるのではないでしょうか。
私は主人と同じように働いていたため、遠足には交替で参加しました。娘たちの遠足の日が別々なこともありましたので、やりくりしながら参加しました。あとから聞いた娘たちの話によると、遠足に参加したDaddyは人気者だったようです。お母さんたちは主人に、「お仕事を休むなんて大変ですね」と言いながら、いろいろなおいしいおかずを自分たちのお弁当から分けてくれたそうです(笑)。もちろん、私は主人と娘のお弁当を作ってもたせていましたが、彼も喜んでいろいろといただいていたようでした。
Daddyが遠足に参加するとき、私は初めて「日本のお弁当」を作りました。日本のママたちのすばらしいお弁当に負けないような、日本らしいお弁当を頑張って作ったのです。卵焼き、日の丸弁当、漬物、ソーセージなどをたくさん、お弁当箱につめました。日本のお弁当はアートです。目で見てきれい、楽しい! いろいろな色や味があって、食べるとおいしいのです! アメリカのお弁当は簡単ですから、日本のお弁当づくりは大変勉強になりました。
しかし……。
主人と子どもが遠足から戻ると、三人とも「お弁当がしょっぱい!」と言いました。あまりにも塩辛いので、お母さんたちがおいしい食べ物を分けてくれたんですって。アー恥ずかしかった!
Daddyはいつもニコニコ、楽しそうに遠足から戻ってきました。娘たちもうれしかったようです。やっぱりDaddyといっしょに遊びたかったんですね。
また、授業参観への娘たちの思いを聞き、私の思いも浮かんできました。私は今も、幼稚園や学校で親のための活動をしていますが、実際に参加した経験者として疑問があります。「その活動は誰のためのもの?」という疑問です。
私がびっくりしたのは、親の参観の前に、各クラスで結構練習をしていたことです。その日のために先生は「できる生徒」を中心にした完璧な授業を組み立てました。大勢の親に見せるために形良く計画したのです。ただその場合、内向的な子や、勉強はできるけれど遅れている子の気持ちはどうなるでしょうか? 「よくできる生徒」やその生徒の親は、その日、胸を張って家に帰れます。でも、他の子どもや親は、どんな気持ちがするでしょう。
できれば、参観日は自由な形で、親はいつでも自分の子どもを見に来れる、というのがいちばんよいのではないでしょうか。もしくはその日の授業はいつもと同じように練習していない、普段通りの授業がいいです。そうすれば、生徒たちや親どうしの「競争」が少なくなり、ひいてはいじめも少なくなる可能性もあるでしょう?
私は授業参観があまり好きではありませんでした。「お芝居」よりも本当の先生や生徒の姿を見たかったからです。今は、親がいつでも自分の子どもを見に来られる自由な形の参観日を設ける学校がふえているようですが、当時私は、いつもそう思っていました。
みなさんの小さなお子さんにも、やがて授業参観の日が来ます。もっといい形になるように、ぜひ先生や学校に意見を遠慮なく伝えてくださいね。
I’m home!
日本には、礼儀正しい表現や言い方がたくさんあります。とても便利です。娘たちが感動したのは、毎日使われる大事な言葉でした。
- いってらっしゃい!
- いってきます!
- 気をつけて!
- ただいま!
- おかえり!
これらはずっと使う言葉です。すばらしいですね。アメリカならその人、そのとき、その家族によって、行きと帰りの言葉にはさまざまな表現がありますが、日本ではこの言葉はあたりまえ。それだけではなく、心に響く言葉だと思います。娘たちにも同じです。娘たちは英語をしゃべることがあっても、出かけるときにいつも私はいってらっしゃい! 気をつけて! といいました。娘は帰宅すると、私が別の部屋にいても大きな声で「ただいま!」と言いました。それを聞くだけで安心し、「おかえり」といいました。
今でも、娘が海外から戻ったときに送ってくるメールのメッセージは“Touchdown”または“Landed”(ただいま!)です。私は必ず「おかえり」と日本語で返します。優しい、気持ちのよい言葉だと思います。パパもママも子どもも、家に帰ってドアを開けた瞬間に「ただいま! おかえり!」と言いましょう。大きくなってからも、家庭の大切な言葉だと思います。
EATING and Manners
娘たちには、保育園の食事の思い出がたくさんありました。家でももちろんお箸やスプーンなどの道具の持ち方や使い方、食べ方のマナーなどを教えましたが、保育園でも、先生たちがいろいろなことを細かく教えてくれました。また、娘にとって “おしごと”(給食当番)も楽しいことでした。特別なエプロンや帽子を身につけ、食べ物やお皿などを運んだり配ったりしました。一週間の当番が終わるとエプロンと帽子を持ち帰り、家で洗濯しました。自分たちにとってこれは楽しく、責任のある“おしごと”でした。
Summer Homework
アメリカの学校の夏休みは、6月の第2週から8月中までです。サマースクールへの参加は自由。家庭によって、キャンプやバレーボール、サッカー、水泳などのスポーツや、アート、音楽と子どものための遊びや勉強はいろいろあり、楽しいことが多いです。
日本の夏休みも長いですが、決まりがたくさんありますね。まず宿題があり、また、8月には同じ帽子や水着をつけて、学校の冷たいプールで泳がなければなりません。何を食べたか、何時ごろ起きて何時ごろ寝たか、便はきちんと出たかなど、毎日日記を書かなければなりません。しかも文だけではなく、絵も必要だなんて!
日本の夏休みは本当に忙しく、もう少し自由が欲しいと思いました。夏の間、アメリカのおじいちゃんとおばあちゃんの家に遊びに行き、日本へ戻ってから一気にその日記を書いたりしました。アメリカでの夏休みは楽しかったけれど、日本へ戻ると大変でした!
娘たちは日本とアメリカで暮らし、苦しいときも楽しいときも経験しました。それは本当によかったと思います。日本の保育園に通ったことは本人たちの宝物です。二人とも、日本とアメリカの血や文化がからだのなかに流れていることに感謝しています。
ただ、残念なこともあります。娘たちはアメリカでは「アメリカ人」として見られませんし、日本にいても「日本人」に見られません。どこの国にいても「外国人」なんですね。悲しいことですが、世の中ではまだ、人間は皮膚の色や言葉などを見て相手のことを判断します。娘たちを産んだときにはまさかこんなことになるとは思いませんでしたが、私たち親子はマイナスとは考えず、プラスであると信じています。ふたつの国の言葉や食べ物、音楽、アート、伝統的なものを愛し、理解できることに感謝しています。
私たちはできるだけアメリカと日本の間の心の橋になりたいと思います。アメリカと日本をずっとずっと愛して、感謝しつつ、お互いの国のために頑張っていこうと思っています。