はじめに
HELLO!
1980年に2人の娘(3歳と1歳)と一緒にアメリカから日本にやって来た青い目のテリーです!
子育て、食べ物、洋服、生活、季節、習慣、文化・・・日本とアメリカでは違うことばかり!
だけど、いろいろな日本とアメリカの違いのおかげで、とっても面白くて楽しい子育てができました!
外国人のママが少なかった当時の“青い目の子育て奮闘記”をどうぞお楽しみください!
プロフィール
Teri Suzanne テリー・スザーン
元「こどもの城」国際交流部長。作家。切り紙のイラストレーター。声優。日本や韓国、香港、アメリカでの講演や、NHKの番組、青山円形劇場への出演などもこなす。子どものためのバイリンガル教育教材コンサルタントとして『えほんや』『エーゴ旅行社』(iTunesアプリ)の英訳と声優を担当。
初めてのこと その3
はじめての乗り物
子どもが歩くようになると、乗り物に乗りたがりますよね。小さいとき、一番最初に乗った乗り物を覚えていますか?
私は自転車でした。大きな車輪が2つと、バランスをとるための小さな車輪が2つついた自転車です。自分ひとりで乗れるようになるための、英語で言うとtrainer wheels(補助輪)ですね。たくさん転びましたが、とても楽しかったのを覚えています。
娘たちの一番最初の乗り物は、かわいい車でした。もらったのか買ったのかよく覚えていないのですが、動きが簡単でおもしろいので、近所の子どもたちとよく遊びました。その車のことは大好きでしたが、引っ越しのときに近所の子にあげたのです。
この車の写真を見た娘がこの前、「あの車大好きだった! ずっと持っていたかった!」と言っていました。今でもやっぱり大切な、思い出の車です。
東京の大森に住んでいたころは、道が細く、車もよく通りました。本当は自転車を買いたかったのですが、家の周りの道は狭すぎて、子どもが乗り物に乗るには危なかったのです。保育園にはいろいろな乗り物がありましたから、そこでは安全に、安心して遊ぶことができました。
今考えると、娘たちは保育園のおかげで、いろいろな乗り物の乗り方を覚えることができたのです。園の乗り物をみんなで使いながら、他の子と乗り物を分け合うことも自然に覚えました。これもとても大事なことだと思います。
初めての自転車(左)と、大好きだった車。
高い高い空の旅
Flying High
日本とアメリカにいるおじいちゃんとおばあちゃんに会うために、大きな乗り物にも乗りました! それは飛行機でした。
まゆかが初めて乗ったのはまだ11カ月のころ。私といっしょにサンフランシスコから東京への便でした。そのときは大変喜んで、スチュワーデスさんたちと仲良くなって、おもしろかったです。一番大変なのは降りるとき。なぜなら、耳が痛くなるからです。
3歳半だったくにみは、パパといっしょにその後に日本へきました。くにみとパパを迎えるため、主人の親友が私を車で成田空港まで連れて行ってくれました。母として、初めてアメリカから来る娘のことをいろいろ心配しました。洋服や飲み物などをバッグに入れ、楽しみにしていました。しかしなんとその日私は、パスポートや大事なものをおじいちゃんとおばあちゃんの家に置いてきてしまったのです!
成田に着くと、チェックポイントのところで警察官がIDチェックをしました。しかし、私は何も持っていなかったのです! 頭のなかには娘のことしかなく、自分のことはさっぱり忘れていたのでした。
主人の親友はとても驚いて、また、とても怖がっていました。私は怖くはなかったのですが、実をいうと怒っていました。子どもを迎えに来て、悪いこともしていないし、飛行機も到着しています。遅れると娘もパパも心配するでしょう(そのころには携帯がなく、連絡もできなかったのです)。だんだん頭にきました。早く子どもに会いに行きたいのに…!
そこで警察官は親友を先に行かせ、私を警察の大きなバスに乗せました。乗っている警察官にも文句を言いました。もちろん礼儀正しい文句でしたが、納得できなかったのです。
そのあと、バスで大きな空港内の警察の事務所へ連れていかれました。
えらい方に、自分のことを必死で説明しました。かなり有名な方も知っていましたから、その人たちの名前を出して「ぜひ電話で呼んでください。私のことをよく知っているから聞いてください!」と、何度も言いました。
刑務所!?
Going to Prison??
しかしそれは許されず、どうしてもパスポート番号は必要なのでした。私は、おじいちゃんとおばあちゃんに電話したら、きっと大変なことになると思いました。驚くし、怒るし、心配するし…! 結局電話しましたが、出たおじいちゃんがやっぱりすごく驚いていました。おばあちゃんが出たので、「パスポートを出して」とお願いし、いろいろと大変でしたがやっと見つかりました!
電話を切ったあと私は、謝りの手紙に「ごめんなさい」とサインを書くことになりました。これはあまりおもしろくないなと思いましたが、警察のえらい方が自分の机を指さして「あなただけじゃありませんよ。1日大勢のかたがIDを忘れて、あなたと同じように同じ用紙を書くんです」と言いました。そこには、私がサインをした用紙が山のように積んでありました。
そのあと、そのビルから空港へ帰るには、自分の足で歩くしかないのです。結構遠かったし、頭に来ていたので、走って走って、走りました! 娘は、娘はどこにいるのでしょうか?? やっと見つかった時には、娘はやっぱりがっかりしていました。会うのが楽しみだったママが遅かったからです!
警察は確かに、みんなのために規則を守るべきですが、母心からすると大変でした。
ルーツの旅
それから娘たちと年に一回は飛行機でアメリカのおじいちゃんとおばあちゃんに会いにいきました。あるとき私たちはサンフランシスコから、フロリダにあるDISNEY WORLDへ行きました。そのあと、アメリカの歴史を感じるためにWASHINGTON D.C. へも行きました。この写真は、私が大好きなLincoln Memorialです。娘たちはからだのなかにアメリカ、そして日本の血が流れていますから、やっぱり自分のルーツrootsに向かう経験も大切なんですね。
娘たちには、私が7年間お世話になった、サンフランシスコのバイリンガル(日本語と英語を教える学校)学校のすばらしい校長先生も紹介しました。この方はサンフランシスコでとても評判のよい方でした。娘たちは大変喜び、ママがアメリカで働いていたころ、他の子ども達に教えているところを見るのは楽しかったと言っていました。私もやっぱりうれしかったです。
それから何年か経ち、娘が大きくなったときに初めて、私の高校Monrovia High Schoolへ連れていきました。娘たちが学校の看板のところに立っているのが不思議な気がしました。実は、このサインの上に山ライオン(学校のマスコットはWILDCATSでした)がありましたが、そのときにはちょうど彫刻を作り直していた時期だったので、彫刻がなかったのです。
私が高校のときには、約2000名ほどの生徒がいました。今でもこの学校はあり、最近は大変人気のロボットを作るクラブ活動があるそうです。
リンカーンの大きな像(左)と、校長先生と娘たち。
私の通った高校にて。なんだか不思議な気分でした。
はじめてのPop! Pop! Pop!
娘たちはアメリカへ行くとき、大好きなおじいちゃんと遊ぶのは楽しみでした。おじいちゃんはいつもおもしろいものを紹介してくれました。
この写真は、アメリカンポップコーンを初めて見せてくれたときのものです。
アルミホイルのかかった特別なパックに、トウモロコシの種が入っています。火の上にしばらく置くと種が大きくなり、ホイルがどんどん丸くふくらんで、やがてパーーーーッ!と開きます。ふくらむとお父さんは変な顔をして、娘がそのパーーーを怖がるようすを見て、ニコニコしていました。やっぱり子育てのなかには表現豊かなことは大切だと思います。大人は子どもの遊び心を忘れてはいけませんね。
初めてのポップコーンの爆発は、何よりもずっとずっと、娘たちの心に残るでしょう。おじいちゃんありがとう! パーーーーーッ!!!!!
おじいちゃんのポップコーン。出来上がるまでワクワク!
さて、12月はクリスマス。最後に、初めて3人がお揃いのサンタになった時の写真をのせます。私たちの思い出のクリスマスの写真です。まゆかは女の子なのに、どうしてもヒゲのあるサンタになりたかったのです。逆にくにみはお姉さんらしく、いつもにこにこの笑顔。おもしろいですね! ふたりはクリスマスプレゼントより、大切な宝物です。みなさんにもこれから毎年、思い出のクリスマスが続きますように!
Merry Christmas and Happy New Year!!