うれしい思い出

2017年はどんな年になるのでしょう。
お正月が来ると「これから新しい年が始まる…」と思うのですが、毎年、あっというまに12月…! と感じています。1年は本当に早いものですね。赤ちゃんが育っていくのと同じように、わからないうちにどんどん過ぎ去っていきます。
あの時間はいったい、どこに行ってしまったのでしょう? できれば今年は、何でもゆっくり楽しんで、体験して過ごしてください。時間をかけて、家族といっしょにいる時間に集中して、感動して、感謝をしながら味わってください。健康ですばらしい、2017年を過ごしてくださいね。
昨年の2016年12月に、私の人生にとってとてもうれしいことがありました。私が40年前に教えた幼稚園の生徒に、赤ちゃんが産まれたのです! 奥さんとともに新しい命を授かり、彼は新しい一歩を踏み出すことになったのです。

私は1974年から1980年まで、サンフランシスコの公立学校での新しいJapanese Bilingual Bicultural Program(日本語と英語を教える小学校)で、幼稚園の先生として仕事をしていました。そのころサンフランシスコには、それぞれのバイリンガルプログラムがたくさんありました。韓国語、スペイン語、中国語、タガログ語などなど…。普通の公立学校には、幼稚園から6年生までのバイリンガルクラスがありました。国から助成金をもらい、プログラムの人数にもきまりがありました。たとえば、私たちのJapanese Bilingual/Bicultural Programには、生徒たちを分けて、1/3はアメリカで生まれた日本人(日系人Japanese American)、1/3は日本から来て滞在している日本人、1/3はその他。授業には両方の国の言葉を使い、日本の文化や歴史なども取り入れる、というきまりもありました。
私たちのプログラムは、他のバイリンガルプログラムとは異なる理由で立ち上がりました。子どもたちの親たちの親はほとんど、アメリカで、日本の収容所(Japanese Internment Camps)に拘束された人たちでした。収容所にいる間には日本語も、日本の文化なども一切禁止されていたため、できるだけ、子どもたちに日本語や日本の文化を理解してもらいたかったんですね。そのためにその教育プログラムを国に希望し、それに申し込んだ人たちでしたから、参加する親や子どもはとても熱心でした。

そのプログラムはとても人気で、大勢の希望者がいました。各クラスには
30~35人ほどの子どもがいましたが、どんどんクラスの数が増えていきました。各クラスには、リードする役である日本語のできる先生、それから1人の日本のアシスタントがいました。親たちが希望し、親の力で成立したプログラムですから、親はいつでもクラスを訪ねて厳しい目で見たり、ボランティア活動をしたりすることも多かったです。私はそこに幼稚園の先生として七年間勤めました。本当に幸せでした。
1976年~77年は、私にとって大変思い出のある年です。なぜなら、その秋に初めて、妊娠の確認ができたからです! 妊娠しましたが仕事は辞めたくなかったため、園長先生に知らせたときに「からだの調子が悪くなったら、仕事を休むこと」を約束させられました。妊娠発表の日には何も言わず、 “I’m going to have a baby”(赤ちゃんを生みますよ!)という文字が書いてあるTシャツを着ました。スタッフや子どもたちがそれを読んで気づくでしょうという企画でしたが、思いのほか気づく人が少なかったのです!  その年にはボランティアをする親が多く、遠足やイベント、料理、アートなどのプログラムに参加してくれました。とても楽しい一年でした。
その年が終わっても、ずっとつきあうことのできた親子もいました。私は、長女くにみを4月に産み、2週間だけ休んで学校へ戻りました。幼稚園の子ども達に戻ってくると約束したからです。頑張ってクラスを教えながら、幼稚園の生徒のお母さんがお昼まで面倒を見てくれました。幼稚園の残りの6週間は特別なプログラムにしてもらって、お昼まで仕事をして戻りました。

その年のクラスにはKyleという男の子がいました。次の年には、その弟のCaseyも教えました。Kyleはとても優しくてはずがしがりで、素直なやさしい心を持つ、真面目な子でした。あまり笑わない子でしたが、何でも一生懸命にやる子でした。お母さんは頭のいい方で、何年か後にこのプログラムのディレクターになりました。プログラムにいる間には力になってくれ、相談相手にもなってくれました。

 


teri39-06

1976年、5歳のKyleです。
 

1980年に私は日本へ引っ越しをするために仕事を辞めましたが、その後も毎年、娘たちといっしょにサンフランシスコを訪ねると、必ずそのプログラムにいた親と大きくなった生徒たちが集まり、食事をしながら昔話に花を咲かせました。生徒たちが大学生になってからも、何人かの家族と会いました。うれしかったです。しかし私が日本にいる間に、Kyleたちのお母さんは残念ながら若いうちに病気で天国へ旅立ちました。

 


teri39-07

1990年、Kyleと弟のCasey、そして同じクラスの子どもたち。
 

そのあとは、Kyleが私にメールを送ってきてくれました。ときには人生相談にもなり、私の娘たちにとってお兄ちゃんのようにもなりました。
やがてすばらしい女性と出会い、結婚して、初めて日本を訪れました。天国にいる彼のお母さんも、きっと喜んだと思います。
Kyleと奥さんは2人で日本語を勉強し、再び日本へ。日本が大好きでした。それから3年前、娘のまゆかが特別なプレゼントをしてくれました。それはいっしょにサンフランシスコへ行ってKyleと奥さん(Lisa)の家に泊まり、私の誕生日のためにミューア・ウッズ国定公園からワイナリーへ。サプライズピクニックランチと誕生日ケーキをごちそうしてくれたのです! Kyleは幸せそうだったので安心しました。

子どもを欲しがっていたKyleたちに、やっと8月に女の子が誕生しました!名前はJuniperです。パパは日系人Japanese American、ママは アメリカンのとても美しい赤ちゃんです。Kyleは45歳でやっとパパになり、とてもニコニコして幸せです。

12月にKyleから「飛行機のチケットを送るから、サンフランシスコまで来てください! Juniperを紹介したいから!」と、連絡がありました。私はとてもうれしくて、すぐに飛んで行きました。 実はKyleのお父さんは昨年急に亡くなり、ご両親がもういないので、どうしても行きたかったのです。
現在、私は母の面倒を見ていますから、母は娘にお願いして、金曜日に出て、日曜日に戻ることにしました。短い時間でしたが、私にとっては家族と同じでした。まずうれしかったのは、2人が本当に良いチームだったこと。奥さんのLisaは1月には仕事に復帰しますが、お互いに文句なしで役割分担をし、掃除、料理、買い物、赤ちゃんのことをやります。初めての子どもなのにKyleは熱心なパパです。彼のパパとしての行動を見て、感動しました。また、私も勉強になることがたくさんありました。

たとえば、現在のおむつの進化や最近の赤ちゃんを寝かしつけにswaddlingすること(つまりからだに巻きつけます)、ミルクのびんも持ちやすく、安全な素材でできています。ベビーカーやチャイルドシートなどもとても便利になりました。まだお家のお風呂には入れませんが、その代わり、台所のカウンターの上に乗せる便利で安全なベビーバスもあります。また、パパのためのベビーキャリアも持っていました。それから、おもしろい道具もありました。布で出来ていて、床の上に置く赤ちゃんの遊び場です。音がしたり手で触ったりできるので、赤ちゃんが寝ながら楽しく遊べます。布なので簡単にたたむこともできます。現在の親や赤ちゃんにはいろいろと便利なものがあっていいなあと思いました。

 

赤ちゃん用の遊びテント。おもしろ~い!

 

土曜日には、サンフランシスコのジャパンタウンへ行きました。雨も降りましたが、赤ちゃんを守るようにできていました!

 

Kyle と Juniper 。雨が降っても大丈夫です!

 

Kyleは大喜び。昔にはあまり見れなかった笑顔が何回も何回もこぼれていました。そして、いっしょにサンタさんを訪ねました。
私たち4人にとって、初めてのクリスマスの大きな一歩。思い出でした。
それから、たくさんのお店がありましたが、Kyleは子どものためのお店にばかり入って、おもちゃや洋服を探しました! すっかりパパになったなあと思いました。おもしろかったのは、おにぎりの枕を買ったこと。Juniperはとてもよい子で、おとなしいです。まだ4ヵ月ですが出かけることが大好き。ほとんど泣かず、いつもニコニコしています。

 

初めてのサンタさん!

 

その夜家に戻り、いっしょにクリスマスツリーを飾りました。彼の家族が昔ツリーに飾っていた飾り物の中に、木でできた洗濯バサミの日本の人形さんのオーナメントもありました。非常に珍しいものです。私は、家族でクリスマスツリーを飾る習慣は大好きです。今回、昔の大事な幼稚園の生徒と彼の家族といっしょにクリスマスツリーを飾れたことをとても感謝しています。

 

クリスマスツリーのオーナメント。
洗濯バサミでできている日本の人形です。

 

45歳になるKyleにとって初めての赤ちゃんですが、彼を見たら、30代のパパに負けないような気持ちで本当に頑張っています。彼はすばらしい作家ですが、先日、ある企業から新しい依頼がありました。すばらしい条件でしたが、もし受けたら今よりも働く時間や日にちが増えます。自分の年齢と、両親を亡くしていること、自分の人生、産まれたばかりのかわいい娘のことを考え、今まで通りの働き方を選びました。もちろんもっと高い収入は魅力的ですが、お金よりも、娘と奥さんのことを大切にしたのです。奥さんも働いているので、奥さんのサポートもできる道を選んだのです。私はすごいと思いました。

 

Juniperとパチリ。かわいいでしょ!!

 

40年前、幼稚園の生徒だったころと同じように、いまでも変わりなく、熱心で素直な優しい人でした。KyleとLisaはこれから、新しい親の道を歩く大きな一歩を踏み出しました。その一歩の一部として参加できて、私は本当に幸せでした。夫婦で手をつなぎながら、心を結びながら、新しい命を守り、愛することは美しいです。いろいろ大変だと思いますが、きっと何でも乗り越えられるでしょう。2人を信じています。
Juniperはどんな子になるのか、とても楽しみです。これからできるだけ見守っていこうと思います。きっと、Kyleと同じようにとても心の優しい人間になるでしょう。私はやっぱり、幼稚園の先生の仕事ができたことにとても感謝しています。